給料を上げなくても社員が辞めない会社の共通点 答えは「常連客」にあった

はじめに:大企業との「条件勝負」に疲れていませんか?
せっかく育てた社員が、また辞めてしまった。
募集をかけても応募が来ない。
やっと採用できたと思ったら、3か月も経たずに退職届を出される。
今、日本中の中小企業経営者がこの悩みを抱えています。
テレビをつければ、大企業の初任給引き上げや充実した福利厚生のニュースばかりが流れてきます。
正直なところ、あのような条件を出せる資金力が私たちにはありません。
給料の額で勝負しようとすれば、体力勝負になって消耗するだけでしょう。
では、私たち中小企業は社員が去っていくのをただ見ているしかないのでしょうか。
いいえ、そうではありません。
実はお金以外にも、いやお金以上に社員を職場につなぎとめる強力な接着剤が存在します。
それは、顧客との関係性の質です。
マーケティングの世界ではよく知られた概念であるリピーター、つまり常連客。
この常連客こそが、社員のメンタルを守り、離職を防ぐ特効薬になることをご存知でしょうか。
本記事では、行動経済学の観点から人間の心理メカニズムを紐解き、常連客の多い店ではなぜスタッフが辞めないのかという謎に迫ります。
読み終わる頃には、御社のマーケティング戦略が最強の採用・定着戦略に変わるヒントが見つかるはずです。
社員が辞める本当の理由は、給料ではなかった
社員が会社を辞める理由の多くは、実は給料ではありません。
厚生労働省が発表した令和5年雇用動向調査の結果を見ると、転職者が前の職場を辞めた理由として、職場の人間関係が好ましくなかったという回答が依然として上位に入っています。
さらに注目すべきは、20代後半の男性において仕事の内容に興味が持てなかったという理由が最も高い割合を示していることです。
つまり、給料への不満よりも、人間関係のストレスや、やりがいの喪失が離職の大きな原因になっているのです。
特に営業職や接客業において、このストレスの根源となっているのが新規開拓のプレッシャーではないでしょうか。
断られる痛みは、心だけでなく体にも響く
なぜ新規開拓はこれほどまでに辛いのでしょうか。
ここで行動経済学のプロスペクト理論が関係してきます。
人間には、得ることよりも失うことに対して2倍強く反応するという損失回避の性質があります。
つまり、1万円をもらった喜びよりも、1万円を失った悲しみの方がずっと大きく感じられるということです。
飛び込み営業やテレアポで、結構です、二度とかけてくるな、とガチャ切りされる体験。
これは単なる商談の失敗ではありません。
社員の脳にとっては、社会から拒絶されたという信号として処理されます。
進化の過程で、人間は群れから追い出されることが死を意味した時代を生き抜いてきました。
だからこそ、私たちは他者からの拒絶に対して、物理的な痛みと同じレベルの苦痛を感じるようにできています。
これは大げさな話ではなく、脳科学の研究でも実証されている事実です。
新規客ばかり追わせることの代償
経営者が売上を上げろ、新規を取ってこいと号令をかけるとき、それは無意識のうちに社員を拒絶の嵐の中に放り込んでいることになります。
御社でも心当たりはないでしょうか。
見ず知らずの相手は、あなたの商品にも、あなたの社員にも関心がありません。
冷淡な対応をされるのは当然といえば当然です。
そんな環境に毎日さらされれば、どんなにメンタルの強い人でも自己肯定感が削られていきます。
やがて、自分はこの会社に必要とされていないのではないか、という思い込みに陥ってしまいます。
これこそが、離職の本当の引き金です。
常連客がいる職場は、なぜ居心地がいいのか
一方で、リピーター、つまり常連客の多い職場環境はどうでしょうか。
ここには全く別の心理的メカニズムが働いています。
ありがとうの言葉が持つ驚くべき力
常連客は、すでにあなたの商品やサービスを気に入ってくれている人たちです。
彼らは社員に対して敵対的ではなく、友好的に接してくれます。
いつもありがとう、あなたが担当でよかった、やっぱりここの商品は違うね。
こうした言葉をかけられたとき、社員の心の中で何が起こるでしょうか。それは強烈な社会的証明の獲得です。
心理学者ソロモン・アッシュの研究が示すように、人は他者からの評価によって自分の行動の正しさを確認します。
常連客からの感謝や肯定的なフィードバックは、社員にとって自分の仕事には価値がある、自分はここで必要とされているという、何物にも代えがたい証明になります。
この感覚は、給料を上げるだけでは決して満たすことができません。
人間が根源的に求めている承認欲求を直接満たしてくれるものだからです。
慣れた相手との会話は、脳にとって休息になる
もう一つ見逃せないポイントがあります。
常連客とのコミュニケーションは、新規客への対応に比べて脳の疲れが圧倒的に少ないということです。
相手の好みや性格がわかっているため、余計な緊張や腹の探り合いが必要ありません。
行動経済学でいうヒューリスティック、つまり思考のショートカットが働き、リラックスした状態で質の高いサービスを提供できます。
仕事が楽しいと感じる瞬間を思い出してみてください。
それは緊張しながら商品を売り込んでいるときではなく、馴染みのお客様と笑顔で会話をしているときではないでしょうか。
マーケティングを変えれば、会社の空気が変わる
新規獲得から常連客の育成へ舵を切ることは、マーケティングコストを下げるだけでなく、組織の体質を劇的に改善する効果があります。
好循環を生み出すサービス・プロフィット・チェーン
ビジネスの世界にはサービス・プロフィット・チェーンという有名な考え方があります。
順を追って説明しましょう。
まず、従業員満足度が上がります。常連客との良好な関係によって、仕事が楽しくなるからです。
次に、サービス品質が向上します。社員が長く定着することでスキルが熟練していきます。
すると、顧客満足度も上がります。質の高いサービスによって、さらにファンが増えていきます。
その結果、業績が上がります。利益が増え、社員にも還元できるようになります。
多くの経営者は業績や顧客満足から始めようとしますが、実はスタート地点は従業員満足であり、その従業員を支えているのが良質な顧客、つまり常連客なのです。
時には悪い客を切る勇気も必要
ここで重要な決断についてお話しします。
社員に過度なストレスを与える理不尽な客やクレーマーは、組織にとって毒でしかありません。
お客様は神様だという考えで全ての客を受け入れる姿勢は、社員を疲弊させます。
これは行動経済学の観点から見ても明らかです。
逆に、私たちの価値を理解してくれる常連さんを大切にしよう、と宣言し、リピーターを優遇する姿勢を見せることは、社員に対して会社はあなたたちを守る、というメッセージになります。
これが心理的安全性を生み出し、会社への帰属意識を高めます。
社員は、自分が大切にされていると感じられる場所で働きたいと思うものです。
明日から実践できる3つのアクション
では、具体的に何をすればいいのか。
行動経済学を応用した、採用と定着に効果のあるアクションプランを3つご紹介します。
アクション1:目標の立て方を見直す
社員へのノルマを新規契約件数だけにしていませんか。
これは断られる数を目標にしているのと同じことです。
目標の枠組みを変えてみましょう。
リピート率や既存顧客からの紹介数を評価の最重要指標にするのです。
今月は何人に断られたか、ではなく、今月は何人の常連さんを笑顔にしたか、を競わせてみてください。
人間の脳は、ネガティブな要素よりもポジティブな要素に焦点を当てた方が、やる気を司るドーパミンが分泌されやすくなります。
モチベーションが持続し、結果的に業績も上がっていきます。
アクション2:お客様の声を見える形にする
社員が自分の仕事に自信を持てるよう、常連客からのありがとうの手紙やアンケート、Googleレビューなどを社内の目立つ場所に掲示してください。
人には、自分の選択は正しかったと思いたい心理があります。
これを確証バイアスといいます。
こんなにお客様に愛されている会社で働いているんだ、という証拠を日々目にすることで、社員の中にある確証バイアスが強化されます。
転職しようかな、という迷いが生まれにくくなる効果が期待できます。
アクション3:社員に常連客を作る権限を与える
マニュアル通りの対応だけでなく、社員自身の判断で常連客にちょっとしたサービスができる権限を与えてみてください。
おまけをつけたり、手書きのメッセージを添えたりといった、ささやかなことで構いません。
行動経済学者ダン・アリエリーの研究によれば、人は自分の裁量で何かを生み出したとき、その対象への愛着を強く感じます。これはイケア効果と呼ばれています。
自分で工夫してお客様を喜ばせ、その結果としてリピーターになってもらえた。
この成功体験は、仕事への当事者意識を強烈に高めてくれます。
やらされている仕事ではなく、自分の仕事だと感じられるようになるのです。
おわりに:最高の福利厚生は、お金では買えない
人手不足の時代、給料の額だけで勝負できるのは一部の大企業だけです。
私たち中小企業が提供できる最高の福利厚生は、豪華な保養所でも高い退職金でもありません。
ありがとうと言ってくれるお客様に囲まれて、誇りを持って働ける環境こそが、何よりの報酬なのです。
新規客を追い回す狩猟型のビジネスは、社員の心身を疲弊させます。
一方で、目の前のお客様を大切にし、常連客というファンを育てていく農業のようなビジネスは、社員の心を豊かにし、長く働きたいと思える土壌を作ります。
常連客を増やす。
この当たり前のマーケティング活動が、実は採用難という経営課題を解決する鍵だったのです。
社員に向かって売上を作れと言う代わりに、あのお客様にもう一度来てもらうにはどうしたらいいか社員と一緒に考えてみませんか。
その思考の変化が、会社の空気を変え、社員の定着率を上げる第一歩になるはずです。


